支持される人、センターに立つ人は、
それ相当の努力をしなくちゃいけない。
この連載は、毎回そのことを教えてくれます。
歌然り、ダンス然り。
いつでも必要となれば、自分の引き出しから出せるよう、日頃から培っておく。
きっと誰もが知らなかったことなんでしょうが、
長くファンをやっているという自負があったにもかかわらず、
「レッスンに通う」光ちゃんがいるとは、想像だにしませんでした。
もちろん、ずっとそうしていたかはわかりません。
それこそこの数年…
KinKiとしての賑やかしい活動がひと段落した、ここ最近のことかもしれないけれど。
ハウスダンスは2年前…
公演が中止になり、私達が「光ちゃん、何してる?」の思いを募らせている頃になる。
表立った活動ができない状況の中、
光ちゃんは光ちゃんなりに、その時にできる自分磨きを重ねていたのかもしれないな…
もちろん、想像の域でしかないですけどね。
その部分を読んだとき、ふとそんなことを思ったりもしました。
日本人男性の中でもとりわけ小柄な光ちゃん。
ステージに立つ人間としては圧倒的に不利な自分を
どう見せるべきか。
足りないものを補い、どう克服して、
さらには、どうやってそれを自分自身の武器にしていくか。
光ちゃんのここ数年のめざましいステージ上の進化は、
この「自分と向き合う」に他ならなかったんじゃなかなぁ、と感じました。
何が不得手で、何を伸ばせるか。
ちゃんとそこに向き合い、超えていったからこその、
あのグラコンだったり、夢幻の実現だったりするわけなんですよねぇ。
ダンスとの出会いは、その後の光ちゃんの生きる指針となったんですね。
時には闘いであったり、また時には誇りだったり。
でも、そこから離れた自分には自信が持てなくて反省反省…(^^;
まぁ、なーーんて光ちゃんらしい文面なんでしょ!
こういう人間味溢れたカワイイところが、もう大好き大好き(*^_^*)
さてさて。
もう一方のお二人語りから感じたことを少しだけ。
(あ、実はとーーっても長いです(笑))
「素敵な楽曲を歌える場所」
この言葉を表立って見たのは2度目…かな?(前はオリコンでしたっけ)
2度も同じ言葉を使って表現してるんだから、
もうね、
これで勘弁してもらえないかなー…… って思うんですよ、私的には(^^;
それ以上でも、それ以下でもない。
今の光ちゃんは、この言葉で、
「自分にとってのKinKi Kids」を言い切ってるんだと思うんです。
今スタッフに任せてしまっているというのは、
その方向づけを第三者に委ねているということで、
決してGを投げてしまったわけではないんだと思っています。
実際、今度のシングル、3曲もコーラス参加されています。
これで、なんで「何の愛情もない」になるの?
深い思い入れがなきゃ、
こんな地道なこと、やれないですってば。
新曲に向けて、もっと言えばKinKiに向けて、
お隣の方がやられたことって何かありますか?
口以外に何かを動かしましたか。
「願う、思う」と繰り返しながらも、
でも、「できない」と言い放つ。
お得意の申請書は、ご自身のソロの時のみ書くんですかね。
できないことは、全部大人のせいですか。
KinKiのプロデュース、ですと?
ずっと過去に遡れば、それは光一さんのお仕事ではなかったでしょうか。
それこそ、KinKi黄金時代。
その頃、この人と言えば自身のソロ願望とドラマ一辺倒で、
Gに背中を向けた感をおもむろにしていたことは、誰にも目に見えていたことでした。
光ちゃんが舞台で忙しくなり、手が回らなくなったことで、
ようやくお隣がその部分に着手しだした。
当時光ちゃんは、「剛がやってくれて」と嬉しそうに言ってましたね。
今思うと、なんて切ない話なんだろうか。
そして、スタッフからも「やっとKinKi Kidsは2人組になったね」と言われた、
という何かを見たこともあります。
でもその結果…
の、今に至るわけです。
私たちの受難は、このあたりから始まったのかもしれません。
この人は、もう忘れちゃったんだねー。
たくさんの名前を駆使しながら、
あまりにもたくさんの場所に顔と口を突っ込みすぎて。
KinKiを守るべく、その当時はいつも隣にいてくれた人の存在と、
荒れたあなたの言葉を、なんとか理解してあげようと歯を食いしばっていた、
温かいファンもいたことを。
「2人の時間が、一年の半分ちょっとあればいいな」
この言葉、心底ビックリしちゃいました。
この人は、本当に現世に生きているんでしょうか。
それとも、図書委員とやらと一緒に、
おとぎの国へ旅立っちゃったのか。
KinKiだけじゃない。
ジャニーズ全体もそう、
もっと言えば芸能界全般がそう。
もう今や、エンターティメントは、すべての部門が飽和状態なのが現実。
テレビも映画も、みんなが奪い合いです。
リリース関係もだし、ステージだって。
そんな中、ファンを満たすだけに終始するKinKiなんて、
誰が「どうぞどうぞ」と、場所を開けてくれるっていうんだろう。
もしお隣さんが、またあの頃の栄光の日に戻ろうと躍起になったところで、
無理です。
なぜなら、KinKi Kidsは、ジャニーズだからです。
良くも悪くも、
ジャニーズにはジャニーズの定めがあるのです。
お隣さんの大好きとする新境地開拓を名目に、
ヘタに手を出してお門違いの所へ出てしまえば、
「KinKiもいよいよこんな場所に出るようになっちゃったんだね」 という、
憐れみを含んだ言葉しか聴こえてこなくなるのは目に見えてる。
それも、王道を歩んだがゆえなのです。
そこで、それを打ち消すかのごとく、
「凄いね、さすが!」と声を上げることこそが、
図書委員さんに課せられたお仕事。
外へ出るのも、
一人きりだと、カッコイイと思ってもらえるということも、
あながち間違いじゃないと思う。
なので、
先日のフェスのごとく、お一人きりでどうぞ。
そこで受ける絶賛は、あなた一人きりものだから、
存分にご自分に浸ってもらえればそれでいいです。
そこに腕を引っ張ってもらわないといけないほど、
光ちゃんはまったくもって、何も不自由していない。
ftrがいるだけで幸せと繰り返す図書委員さん。
自分たちのKinKiへの要望と
実際の活動のなさとのギャップばかりを嘆いたり怒っておられるようだけど、
このインタビューを読んで、
本当に憂うべきは、
いかにこの2人が、交わらない目線でKinKiを語っているか、
ということじゃないでしょうか。
なぜ、そのことを真剣に心配したり、
考えたりしないままでいられるんだろう。
剛君があれこれ考えあぐね、「遊び心」という言葉で思い描くほど、
時代は、事務所は、KinKiにチャンスをくれたりはしない。
KinKiが思うように動かせなくなったのは、
大人の事情でも、
まして、SHOCKのせいでも何でもない。
その昔、剛くんが自ら手放してしまったから。
一年の半分をKinKi活動に、だなんて、
よもや安易に、残りの半分をフルにソロ活動できる、なんて思い込んでやしないだろうか。
現実を見ましょうよ、現実を。
今、誰であったとしても、
集客であれ、リリースであれ、
思うような数字を出せず、必死なんだという現実を。
エンターティメントなんて、掃いて捨てるほどある時代だということを。
だからこそ、絶対無二のものを手放さない。
「やれるものなら、やってみろ」
それを口にできる光ちゃんの凄さは、
とっくにKinKiを超えたと、私は心から思えている。
自分に許される時間には際限があることがわかっているからこそ、
彼は、その瞬間に自分の持てるすべてを賭ける。
そうすることでしか、道は繋がらない。
実践してきた人だからこその言葉は、圧倒的に力強い。
一部のファンから支持されるためだけのリップサービスが、
いかに薄っぺらいものか。
そんなものがなくっても、
私達は、ずっと光ちゃんの背中を押し続けていける。
まぁ、何だかんだ言ってしまいましたが、
それでも私は、続く限りはKinKiから離れられずにいるのでしょう。
そこに光ちゃんの声と姿が残る限りは。
KinKiと聞いてときめくものなんて、
かけらでもあれば上等かな、くらいなものだけど。
追いかけて、疲れきって、
見え聞こえるお隣の言葉に、
「クソーー、おめーなんてぇぇぇぇーー!!」を繰り返しながら、
きっと息も絶え絶えになっているでしょうが、
まだしばらくは、
そこにいる光ちゃんの凛とした姿を、追い求めていそうな気がします。
そこで生きる光ちゃんを、私は絶対否定しない。
ジャニーズには、ジャニーズという生き方があるんだと思う。
それをプラスに変えた人と、マイナスに捉えた人が、
同じグループにいた惨劇、
それが今のKinKiのような気がするんです。
拍手コメントのお返事です。
るりさま
こんにちは。
みなさん、なんとか光ちゃんだけは逃すまいと奮闘されているんですよね。
はい、私も精進しますよ!(笑)
ほんとに心躍るお知らせをそろそろ…
なんて言ってる間にくるかな?
もうそういう季節ですものねぇ…
それ相当の努力をしなくちゃいけない。
この連載は、毎回そのことを教えてくれます。
歌然り、ダンス然り。
いつでも必要となれば、自分の引き出しから出せるよう、日頃から培っておく。
きっと誰もが知らなかったことなんでしょうが、
長くファンをやっているという自負があったにもかかわらず、
「レッスンに通う」光ちゃんがいるとは、想像だにしませんでした。
もちろん、ずっとそうしていたかはわかりません。
それこそこの数年…
KinKiとしての賑やかしい活動がひと段落した、ここ最近のことかもしれないけれど。
ハウスダンスは2年前…
公演が中止になり、私達が「光ちゃん、何してる?」の思いを募らせている頃になる。
表立った活動ができない状況の中、
光ちゃんは光ちゃんなりに、その時にできる自分磨きを重ねていたのかもしれないな…
もちろん、想像の域でしかないですけどね。
その部分を読んだとき、ふとそんなことを思ったりもしました。
日本人男性の中でもとりわけ小柄な光ちゃん。
ステージに立つ人間としては圧倒的に不利な自分を
どう見せるべきか。
足りないものを補い、どう克服して、
さらには、どうやってそれを自分自身の武器にしていくか。
光ちゃんのここ数年のめざましいステージ上の進化は、
この「自分と向き合う」に他ならなかったんじゃなかなぁ、と感じました。
何が不得手で、何を伸ばせるか。
ちゃんとそこに向き合い、超えていったからこその、
あのグラコンだったり、夢幻の実現だったりするわけなんですよねぇ。
ダンスとの出会いは、その後の光ちゃんの生きる指針となったんですね。
時には闘いであったり、また時には誇りだったり。
でも、そこから離れた自分には自信が持てなくて反省反省…(^^;
まぁ、なーーんて光ちゃんらしい文面なんでしょ!
こういう人間味溢れたカワイイところが、もう大好き大好き(*^_^*)
さてさて。
もう一方のお二人語りから感じたことを少しだけ。
(あ、実はとーーっても長いです(笑))
「素敵な楽曲を歌える場所」
この言葉を表立って見たのは2度目…かな?(前はオリコンでしたっけ)
2度も同じ言葉を使って表現してるんだから、
もうね、
これで勘弁してもらえないかなー…… って思うんですよ、私的には(^^;
それ以上でも、それ以下でもない。
今の光ちゃんは、この言葉で、
「自分にとってのKinKi Kids」を言い切ってるんだと思うんです。
今スタッフに任せてしまっているというのは、
その方向づけを第三者に委ねているということで、
決してGを投げてしまったわけではないんだと思っています。
実際、今度のシングル、3曲もコーラス参加されています。
これで、なんで「何の愛情もない」になるの?
深い思い入れがなきゃ、
こんな地道なこと、やれないですってば。
新曲に向けて、もっと言えばKinKiに向けて、
お隣の方がやられたことって何かありますか?
口以外に何かを動かしましたか。
「願う、思う」と繰り返しながらも、
でも、「できない」と言い放つ。
お得意の申請書は、ご自身のソロの時のみ書くんですかね。
できないことは、全部大人のせいですか。
KinKiのプロデュース、ですと?
ずっと過去に遡れば、それは光一さんのお仕事ではなかったでしょうか。
それこそ、KinKi黄金時代。
その頃、この人と言えば自身のソロ願望とドラマ一辺倒で、
Gに背中を向けた感をおもむろにしていたことは、誰にも目に見えていたことでした。
光ちゃんが舞台で忙しくなり、手が回らなくなったことで、
ようやくお隣がその部分に着手しだした。
当時光ちゃんは、「剛がやってくれて」と嬉しそうに言ってましたね。
今思うと、なんて切ない話なんだろうか。
そして、スタッフからも「やっとKinKi Kidsは2人組になったね」と言われた、
という何かを見たこともあります。
でもその結果…
の、今に至るわけです。
私たちの受難は、このあたりから始まったのかもしれません。
この人は、もう忘れちゃったんだねー。
たくさんの名前を駆使しながら、
あまりにもたくさんの場所に顔と口を突っ込みすぎて。
KinKiを守るべく、その当時はいつも隣にいてくれた人の存在と、
荒れたあなたの言葉を、なんとか理解してあげようと歯を食いしばっていた、
温かいファンもいたことを。
「2人の時間が、一年の半分ちょっとあればいいな」
この言葉、心底ビックリしちゃいました。
この人は、本当に現世に生きているんでしょうか。
それとも、図書委員とやらと一緒に、
おとぎの国へ旅立っちゃったのか。
KinKiだけじゃない。
ジャニーズ全体もそう、
もっと言えば芸能界全般がそう。
もう今や、エンターティメントは、すべての部門が飽和状態なのが現実。
テレビも映画も、みんなが奪い合いです。
リリース関係もだし、ステージだって。
そんな中、ファンを満たすだけに終始するKinKiなんて、
誰が「どうぞどうぞ」と、場所を開けてくれるっていうんだろう。
もしお隣さんが、またあの頃の栄光の日に戻ろうと躍起になったところで、
無理です。
なぜなら、KinKi Kidsは、ジャニーズだからです。
良くも悪くも、
ジャニーズにはジャニーズの定めがあるのです。
お隣さんの大好きとする新境地開拓を名目に、
ヘタに手を出してお門違いの所へ出てしまえば、
「KinKiもいよいよこんな場所に出るようになっちゃったんだね」 という、
憐れみを含んだ言葉しか聴こえてこなくなるのは目に見えてる。
それも、王道を歩んだがゆえなのです。
そこで、それを打ち消すかのごとく、
「凄いね、さすが!」と声を上げることこそが、
図書委員さんに課せられたお仕事。
外へ出るのも、
一人きりだと、カッコイイと思ってもらえるということも、
あながち間違いじゃないと思う。
なので、
先日のフェスのごとく、お一人きりでどうぞ。
そこで受ける絶賛は、あなた一人きりものだから、
存分にご自分に浸ってもらえればそれでいいです。
そこに腕を引っ張ってもらわないといけないほど、
光ちゃんはまったくもって、何も不自由していない。
ftrがいるだけで幸せと繰り返す図書委員さん。
自分たちのKinKiへの要望と
実際の活動のなさとのギャップばかりを嘆いたり怒っておられるようだけど、
このインタビューを読んで、
本当に憂うべきは、
いかにこの2人が、交わらない目線でKinKiを語っているか、
ということじゃないでしょうか。
なぜ、そのことを真剣に心配したり、
考えたりしないままでいられるんだろう。
剛君があれこれ考えあぐね、「遊び心」という言葉で思い描くほど、
時代は、事務所は、KinKiにチャンスをくれたりはしない。
KinKiが思うように動かせなくなったのは、
大人の事情でも、
まして、SHOCKのせいでも何でもない。
その昔、剛くんが自ら手放してしまったから。
一年の半分をKinKi活動に、だなんて、
よもや安易に、残りの半分をフルにソロ活動できる、なんて思い込んでやしないだろうか。
現実を見ましょうよ、現実を。
今、誰であったとしても、
集客であれ、リリースであれ、
思うような数字を出せず、必死なんだという現実を。
エンターティメントなんて、掃いて捨てるほどある時代だということを。
だからこそ、絶対無二のものを手放さない。
「やれるものなら、やってみろ」
それを口にできる光ちゃんの凄さは、
とっくにKinKiを超えたと、私は心から思えている。
自分に許される時間には際限があることがわかっているからこそ、
彼は、その瞬間に自分の持てるすべてを賭ける。
そうすることでしか、道は繋がらない。
実践してきた人だからこその言葉は、圧倒的に力強い。
一部のファンから支持されるためだけのリップサービスが、
いかに薄っぺらいものか。
そんなものがなくっても、
私達は、ずっと光ちゃんの背中を押し続けていける。
まぁ、何だかんだ言ってしまいましたが、
それでも私は、続く限りはKinKiから離れられずにいるのでしょう。
そこに光ちゃんの声と姿が残る限りは。
KinKiと聞いてときめくものなんて、
かけらでもあれば上等かな、くらいなものだけど。
追いかけて、疲れきって、
見え聞こえるお隣の言葉に、
「クソーー、おめーなんてぇぇぇぇーー!!」を繰り返しながら、
きっと息も絶え絶えになっているでしょうが、
まだしばらくは、
そこにいる光ちゃんの凛とした姿を、追い求めていそうな気がします。
そこで生きる光ちゃんを、私は絶対否定しない。
ジャニーズには、ジャニーズという生き方があるんだと思う。
それをプラスに変えた人と、マイナスに捉えた人が、
同じグループにいた惨劇、
それが今のKinKiのような気がするんです。
拍手コメントのお返事です。
るりさま
こんにちは。
みなさん、なんとか光ちゃんだけは逃すまいと奮闘されているんですよね。
はい、私も精進しますよ!(笑)
ほんとに心躍るお知らせをそろそろ…
なんて言ってる間にくるかな?
もうそういう季節ですものねぇ…
コメント
コメント一覧 (18)
素晴しい更新ありがとうございます!!
もう、私、大拍手したいです。
スタオベしたい気分ですっ。
言いたい事全部言ってくれましたね!!
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
くじけそうになったら、あなたのこの更新何度も読むわっ。
はぁ、、、素晴らしかった!
ありがとうございます(*^_^*)
ここ最近の自分の気持ちのザワザワを打ち消すために、
ちょっと強い言葉を出してみました。
長いばっかりで収拾つかなくなりましたけど、
出したい言葉を全部出したような気がします。
今気弱になってしまっている光ちゃんファンが、
お一人でも「よっしゃ!」って気持ちになってくれれば、
夜なべの更新も報われる… かな(笑)
私もいつもみにぶさんの文章に力をもらっていますよ。
いつもこの言葉しかありませんが、
共に微力ながら、光ちゃんの背中を押し続けましょう!
記事を読ませて頂きました。
(敬称略お許し下さい。)光一ファンの視点でいえばそう見えるだろうという内容で、納得しております。
光一という芯のある男を基準に考えればそう見えるでしょう。
剛は言っていることがコロコロ変わるし、自分語り好きだし、上から目線にイラっとさせられるし・・・
そんな剛が「KinKiが一年の半分ちょっと」っと言い出せば、今更そんな可能性は少ないだろうけど、その気持ちは嬉しいです。
剛から「お待たせしました」と今回のプロモで何度も聞きました。ファンを思いやる気持ち。過去にKinKiから気持ちが離れていても、今更だとしても、ただのリップサービスではないです。
剛だって今更KinKiが自分の思うように動くなんて思っていないとは思いますが、私は剛の思考を自分と同じレベルでは理解できないので、断定はできません。
ただ言えるのは、剛は不確定なことでも願望でも今ある想いを易々と或いは軽率に口にする。
それを見て、良くも悪くもああ剛だよな〜っと。
甘いですか?剛をダメにしたでしょうか?
でもあの当時に関して言えば、ファンの声を直接聞く機会・ツールが多かったとは思えません。
それにあの当時、剛の不安定さは光一ファンでも知っていると思います。
光一は確定的なことしか言わないですね。
光一ファンからしたら、剛のそんなところを許容することはできないでしょうし。
でも剛は剛でしかなくて・・・
光一ファンが理解できなくて嫌いになっても仕方ないとは思っています。
(それ以外にも嫌いになる要因があるのも分かります)
すみません、次につづきます・・・
前置きが長くなってしまいましたが、KinKiは二人組なのに何故片方のみが非難されるのでしょうか。
あなたの記事内でいえば「光一が舞台が忙しくて、手が回らなくなった」「剛がプロデュースに着手した結果今に至る」「剛がKinKiを昔手放した」・・・批判優先の解釈で矛盾しているように思います。
人それぞれ見方が違うでしょうが、私が見てきたのは光一がKinKiの要→剛がソロ願望を持ちKinKiに消極的→光一は舞台にシフト→KinKi停滞期、ファン売上減少期→剛ソロをKinKiに持ち込み気味・合作願望、光一はKinKiの関わり2割→今、という感じです。
あなたが言うように「2人が、交わらない目線でKinKiを語っているか」。
この辺りが今の現状の理由ではないでしょうか。
まだお花畑な人もいますが、だんだんKinKiファンも気づいてきています。
堂本光一は堂本光一でしかないし、堂本剛は堂本剛でしかなく。
それを尊重したかどうかは分からないけど、相手に求めることもせず、直接ぶつけることもせず、二人は距離を保ってきたんだと思います。
長々と本当に失礼いたしました。
初めまして。柊子です。
私の長い文面を読んで下さり、またお言葉を送って下さり、ありがとうございました。
おそらく長く剛くんファン、キンキファンを続けてこられたんだろうと推測させていただきした。
私もそうですが、古いファンの多くは入口がKinKiであったことだろうと思います。
そのどちらに惹かれ、どちらに思いが多かったか、その根っこの部分が今の互いに向ける「なぜ?」を生んでいるに他ならないと思っています。。そしてその部分へは理解も解決もない。好きという感情に正解はないですもの。どんな部分を愛し、応援しているかは自由だと思っています。(今ここでは、お花畑の方々は放置します)
あかさまが書かれたキンキの経緯、その通りだと思います。
そして、私が批判優先だとおっしゃられるのも、間違いなくそのとおりです。
私の今回の更新は、腹立たしさから生まれたものです。
おそらくはあかさまは、この記事が広まったことで、私のところに来られたかと思うのですが、ここではずいぶん前は、時にキンキ全般へもどかしさを綴ってきました。
続きます。
噛み合わない二人にもどかしさを感じることもしばしば、そんな2人に向けて、悲しかったり腹を立てたりうれしかったり、そんなことを綴っていました。
私なりにキンキへの思いも、剛くんへ思いもありましたし、応援もし続けてきたつもりです。
そんな私だからこそ、ですが、最近の剛くんの言葉、行動(F1のツイなど)、それはどうしたところで、私にとってみれば、「なにを今更」という思いしか浮かばないのです。
後輩はドンドン出てくる、年齢的にも個々を確立も見えてきた。解散はないキンキは互いのタイミングでそのうちにはまた… 通常は関わり合わない、交わらない2人なんだから… そう私は捉えていました。
剛くんは現場に生きる当事者です。
あまりに現実離れな大きな話だったり、理想郷語りが多かったりするものは、リップサービスの枠を逸脱してしまい、挙句にはただ追いかけるファンを煽るだけに成りえませんか? そこを「彼はそういう人だから…」と周囲がまた理解を心がけないといけない状況ばかりになるなら… どうかせめて光一君一人きりの場所では、そっとしておいて… その気持ちを更に声を大きくしてしまいそうな自分が見えています。
リップサービスが出てくるその様子に、剛君ファンがどれほど今うれしい思いで彼を見ているか、私なりに察しているつもりです。その言葉を元に、また追いかけることができるようになる人も大勢いるでしょう。
また一方では、そんな言葉は必要ないという力強い人たちもいます。
同じものを見て、まったく違う解釈が生まれる…
「なぜ片方だけが非難される?」 という理由はそれしかないように思います。
良くも悪くも、まったく背合わせな2人きりだったこと。
そこにすべての理由を押しつけてみませんか?
それこそ昔は、全く違う2人が共にいる、ということが魅力だったものも、
過ごす環境だったり、年齢だったり… 伴うものが変わってきています。
昔は届かなかった声が届くようになったのは、剛君だけではありません。
光一君もそうだと思います。
その声をもとに剛君はキンキという声を上げるようになり、
光一君は自分のソロへの自信を深めた。
ですから、私にとっては、この今の状況すべてが「何を今更」という言葉に尽きてしまうんです。そもそもがキンキだったという私なりの憤りだったり呆れだったりするのです。
SHOCKが大好き、光一くんのソロが大好きですが、
「素敵な歌が歌える場所」
その光一君の言葉に、ようやく私は心の中のキンキという場所を落ち着かせています。それも私の精一杯だと思って頂ければうれしいです。
あかさまのような方もいらっしゃるのだと思うと、こういうお話ができたことも、今回この更新をした甲斐があったような気もします。
最近は光一くんオンリーファンでも、「それはどうだろう…」とつい眉をしかめてしまうような強固な方もおられます。私も似たようなものだと思われてしまうかもしれませんが、あくまで「わたし」と捉えていただければ幸いです。
キンキファンはあまりに多様すぎて、こういうところで言葉を出すのも難しいと思い知らされます。
けれど、自分の場所でのことですから、責任を持ち、誠意をもって言葉を選びながら一生懸命書きました。
書いたものに、自分の気持ちは間違っていないと思っています。
長いばかりで拙い文章でしたが、そのことが届けば幸せです。
あかさまへ 柊子
私などの意見に真摯に向き合って頂き、受け止め、そして熟考されたご意見に感謝を致します。ありがとうございます。
ここまで向き合っていただけるとは思っていなかったので驚きつつも、しかし、今思うと私の中にもしかしてという期待があってコメントをしたのだと思います。
そして、おっしゃるとおりこれまでの柊子さまの記事は読んでいないため、理解不足な状態でコメントをしてしまい、申し訳ありません。
今は返信を優先させていただいているのですが、また後ほど過去記事を読ませて下さい。
本題ですが、柊子様のおっしゃるとおり同じものを見て違う解釈が生まれます。
実際リップサービスというのが私にとってはそうは聞こえない、読み取れません。
直近では日経エンタの記事のことだと思うのですが。
リップサービスと言えば故意的なニュアンスが含まれていると思うのですが、それは感じません。
剛が理想論を語っていて実現できないことを分かっていたとしても、ファンの意見を見聞きしたうえでの発言だとしても、ただの口だけのリップサービスには感じない。
剛はそんなに器用な人間じゃないと思っています。
人それぞれの捉え方の違いはあって然るべきなのですが。ただ、人間は感情を持っているので、それに大きく左右されているという自分に気づけない人も多いのではないかと思っています。
Twitterなどではよく見かけます。柊子様は呆れや憤りといったご自身の感情を把握しながらの剛非難だったということ、理解させて頂きました。柊子様の記事の端々からそのようなニュアンスを感じてはいたのですが、揚げ足取りのような真似すみません。
もしそれが自分になんの関わりもない人だったり、何の感情も持ち合わせない人だったりするとスルーできます。
ですが、剛にはそれはできない、やめて欲しい。
でもそれってただの私の理想を投影したいだけ?剛は剛でしかないのに・・・とよくグルグルしています。
自分で書いていて思いましたが、私は「剛は剛でしかない」を多用していますね。私自身がこれに囚われているのかもしれないです。いずれじっくり考えなければならないかもです。
話が逸れましたが、剛はそんな一面だけじゃないのでファンを続けています。共演した人の高評価にびっくりしたりしながらも。
ただ剛がソロでやっている分にはそれで通用しても、それがKinKiとなれば事情が違ってくるかと思います。それも理解しているつもりなので、光一ファンからしたら不満・不信は当然のことだと思っています。
すみません、あと少し続きます
ご返信でしかと「柊子様」を捉えさせて頂きました。
先般の記事内でのジャニーズやエンターテインメントに関しての内容も自分とは違った見方だと思って読ませて頂きました。
先のコメントではその辺りは書けなかったので。
私の意見もいつかどこかで書ければと、少しだけ思いました。
ただ、こちらにたどり着いた元というのが強固な方のTwitterからなので、皮肉的なのか声の大きな人の影響力は無視できない・・・世の中そういうものなのか・・・っと思ってしまいました。
KinKiというのは二人もファンもスタッフもどれをとっても気持ちがすれ違っているような気がしてなりません。
過去があっての現在。過去に囚われすぎない未来。主張・譲歩・交わり。
うまく文章にはできませんが、これからがゼロではないと思っています。
私も誠意をもって書かせて頂きました。伝われば幸いです。
それでは最後に柊子様の勇気に敬意を表します。色々な意味を込めて。
ビシッと決めたところで終わりに致します。
こちらこそ度々長々申し訳ありません。
ありがとうございました。
あか
おはようございます。柊子です。
こちらこそ、大変気持ちの詰まった、たくさんのお言葉をいただき、
ありがとうございました。
正直、時間と勇気のいる更新でしたが、あかさまとこういうやりとりも生まれ、
無駄にはならなかったと、今少し力強い思いでいられる自分でいます。
こちらこそ、感謝します。
私が今のようなスタンスを取る経緯は、
「それぞれの場所」というタイトルの回で、少し感じていただけるかと思います。
お時間があるときにでも、その部分だけでもお目遠しいただければ幸いです。
私個人の戯言のために、たくさんの時間を割いていただき、
ありがとうございました。
柊子
何度もすみません。
「それぞれの場所」は、2012.2.23更新の回です。
ここ最近の光一君のコメントに対する所謂KinKiファンのバッシングとも思える発言にKinKiに絶望しか感じない私です。
剛君が不安定な時、それこそ殺人的なバードスケジュールの中で必死でKinKiに関わり頑張って来た光一君のことはまるで無かったように、KinKiりソロを応援してほしい、着いてこれる人だけついてきてと言っていた剛君の迷走も無かったことのように語れるKinKiファンが怖いです。それも長くKinKi
見つめてきたと言い切るファンの方の言葉だけにショックが隠せません。図書委員、お花畑と呼ばれるファンはどこまで光一君に厳しく剛君に甘いのだろう。一年の半分はKinKiやりたいなら、何故、自分のソロはお休みするよくらい言えないのか?散々、ファンを混乱させ心を抉るような言葉や行動をしてきたのに、本当に「何を今更」と感じずにはいられません。立場が違えば見方が違うのは当たり前ですが、KinKiファンはあまりにも光一君ファンに寛容ではなかった。少しの疑問も不満も全てアンチと断罪され、人間じゃないと罵られ、それでも光一君がいる限りKinKi
応援して来たファンがいます。それなのにつ剛君の発言には雑誌では真意は伝わらないとフォローし、光一君の発言はそのまま受け取りKinKi
愛がないだの考えをはっきり言わないで逃げてるだの言いたい放題です。挙げ句、光一君にSHOCKしか仕事がないのは光一君が人の縁を大切にしない、「冷徹」なにんげんだからだと馬鹿にしています。光一君のどこがいけないのか?そこまで言われるようなことをきたのか?不思議です。初めてなのにこんなに書いてごめんなさい。不適切なら削除してください。
初めまして。柊子です。
みいさまのお話、しっかりと読ませていただきました。
私も光一くんファンとして、似たような思いはありますし、
長くファンを続けていればこその思いは尚更です。
私のここ最近の憤りは、ブログの記事内の言葉のままですし、
ファンとしてのスタンスも、コメント内の言葉から感じ取っていただけるかと思います。
光一君ファン、剛君ファン、キンキファン、立場それぞれに言葉を持っておられます。
私は私のブログの中で、自分の言葉として声を上げたまでのことで、
私のような小さなブログの中では、その全部を請け負うことはできません。
コメントという場所では、あくまで私自身へお気持ちを届けていただく場所であり、
また、ここにお越しになられた方々が、双方の思いをぶつけ合うことは、
私の本意ではありません。
でなければ、私はこれから、自分の思いを綴る場所を守ることができなくなります。
大変申し訳ないことですが、
ふたつ目のコメントには、みいさまから個人に向けての言葉が見えましたので、
失礼かと思いましたが、2つめの方のみ削除させていただきました。
どうか、そこだけご理解下さい。
柊子
昨日の堂本兄弟にため息をついたところなので、うまく文章にならないかもですが。
そして、読ませて頂いた想いを書く上で「彼女」にも焦点を当ててしまうことお許し下さい。
まず、彼女が発した「光一が迷惑」という言葉、よく見かけますね。
見聞きするたびにまたか・・・と思います。
自分の気持ちを代弁するとき都合のよい人を利用してしまっているのでしょう。
「私が迷惑」とは言わない・言えないでしょうし、てっとり早く相手の心に訴えているつもりかもしれませんが。
自分の言葉でちゃんと返していたら違っていたのかも・・・というのは考えても仕方ないでしょうね・・・
一方、外野を気にすることなく自分の好きなこと楽しいことだけを追い続けることができるというのは本人にとっては幸せなことなのでしょうね。
羨ましくもあります。
「自由」に応援できている彼女。
近くにいた柊子様にしてみれば、様々な想い・葛藤をもたらした方であったのでしょうが、若干花が咲いているかもしれないのですが、負の感情を募らせることなくに好きなモノに向かっていけるのは羨ましい。私にないものなので。
この出来事が一年半以上前であるようですので、今の彼女が最近のKinKiに対してどう感じているのか聞いてみたい気もします。
でもきっと、100分の1もここには書かれていないのでは。
彼女との関係以外にも長い月日の間のこと、この一つの記事では到底表すことができないかと思います。
ただ「寄り」に関しての記述ですが、私が見る限りでは光一ファンは「図書委員は光一ばかり責める」といい、剛ファンは「図書委員は剛ばかりを責める」といい、図書委員はオンリーファンがいないかのように振舞っているようにみえます。
それぞれが自分視点で物事を捉える。
みんな守りたいものに一生懸命。
人間が感情を持っている限り、フェアなんてないんじゃないかな。
ですので、「寄り」がないって言いながら寄っていること対し全く気にならないです。
みんな自分自身が見えてたり、見えてなかったり。もちろん私もです。
私はファンになって12年。入口は剛で、自然にKinKiも応援しています。
彼女と入口は似ているのかもしれません。剛の声が好きなのです。
それから色々な想いを抱えファンやめようかと思った時期もありました。
shamaに関してはまだ受け入れきれていません。
柊子様がご存知かわからないのですが、昔のどっきりで楽屋に泥棒が入った設定のものがありました。
内容は略させて頂きますが、そのときの剛が私の奥底から離れることがありません。
どんなに失言しても、態度が悪くても、こうして今もやきもきしながらファンを続けています。
不要かとも思いましたが、読ませて頂くだけで私自身のことをほとんど書いていなかったので書かせて頂きました。
また長くなりました、すみません・・・ご返信は気にされないで下さい。
またそっとこちらを覗かせていただくことがあるかもしれません。
柊子様が好きなこと・好きな人を自由に正直に応援できますよう、末筆に添えさせて下さい。
あか
訪ねていただき、ありがとうございました。
このブログは私の日記的場所なので、
いつか自分の中で「そんなこともあったなぁ」を思い浮かべることができればいいだけです。
あの記事も、そういうものの一つです。
一つのことに思いがあることから、いろんな歪みが生まれる。
たかがあの2人のことなのに… 面倒くさいな、ですよね(笑)
いつ自分がこういう生活から離れてしまうか、
今後の自分が見ものです(笑)
今後も「決め事はしない」ということだけを唯一の決め事にして、
光一さんを見つめ続けるつもりです。
私の戯言にお付き合いいただき、いろいろとありがとうございました。
柊子